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とある男が起こした大量虐殺は、裏社会でもさして知られていない。
知りうる人間も同時に起きた火事で無になったからだ。
長年の仕事のデータ。確かにそこで生きていた人間の存在。
炎は全てを灰にする。
それでも消えることのないものは人の激情。焔だけだ。
孤児であった飛燕は、ある富豪の老人に引き取られた。
ただ人と違ったのは、その老人の家系が現在も続く名家であるということ。
一流ホテルを経営する老人――祖父の元で育ち、富と心に余裕があったからか飛燕は健やな少年に成長していた。
祖父は大変厳格な存在で、最初こそ飛燕に冷たい態度をとっていた。
が、飛燕が成長するにつれわだかまりも溶け、本当の孫…いや、それ以上に可愛がっていた。
「……ん?」
いつもの週末。祖父の家に遊びに来ていた飛燕は、祖父の書斎で読書をしていた。
その日、何気なく手にとった手記。
それは祖父が何より大切にしているものであり、普段は触ることすらないが、ちょっとした悪戯心が働いた故の行動だった。
だが、そこに挟まれていた写真に飛燕は目を奪われた。
古ぼけたそれには、若かりし頃の祖父と、この世のものかと疑うほどに美しい女性が写っている。
仲睦まじく寄り添った二人の関係は、まるで夫婦のように見えた。しかし、祖父にそのような関係になった女性がいたとは聞いたことがない。
その後書斎に入ってきた祖父にばれ、手記を勝手に覗いたことを叱られたが、写真を見つけてしまったことについては特に咎められなかった。
「じいちゃん、これ…誰?」
「ああ、いや、それは…なんだ…」
飛燕は、祖父の気まずい空気を汲み取れる訳もなく、笑顔で聞いてしまう。
祖父は椅子に腰かけると飛燕を傍に呼び寄せ、二人で写真を眺めた。
「その方は…麗華さんと言う」
「れいか?」
「ああ、じいちゃんの…婚約者だった人だ。みんなには内緒だぞ?」
祖父はそう苦笑する。
「じいちゃんは、れいかさんが好きだったのか?」
「…もちろん、好きだったよ。とても…」
「じゃあなんで結婚しなかったんだ?」
そう言って、飛燕は首を傾げる。好奇心に満ちた子供の言葉に、悪意は微塵もない。
だが、それは祖父の胸を深く抉る。
「…したかった…。したかったのに…出来なかったんだ…飛燕…」
低く呻いて、祖父は飛燕をきつく抱きしめた。
驚いて、祖父を見上げる。飛燕にとって強く憧れの存在である祖父は、声を殺して泣いていた。
飛燕は幼心ながら、その姿をはっきりと記憶に焼き付けていた。
後にネットなどで当時のことを調べて判明した事実。天皇家とも親交のある名門・青蓮院の令嬢、失踪事件。
被害者は青蓮院麗華。
生きていれば祖父より一回りほど下の年齢で、艶のある長い黒髪と雪のように白い肌は煌びやかな着物によく似合い、まるで日本人形のような美貌を誇ったと言う。
顔を覚えられて誘拐でもされるのを恐れてなのか、あの写真以外、全く出てこなかった。
それほど大事に可愛いがられていたということだろう。
飛燕は事件や家系を調べるにつれ、この女性のことをもっと深く知りたくなった。
…神隠し。正にそうとしか思えない、不可思議な事件。
一度推理ものを見てしまうと犯人が解るまで気になるのと同じように、単純に興味が湧いた。
「…麗華、さん」
残念ながら飛燕は異性に対して恋愛感情を持つ人間ではなかったが、麗華という文面でしかわからない女性には、何故か引き寄せられるように執着した。
実父も、その父も、共に麗華に執着したことなど、当時の飛燕には知る由もなかった。
知りうる人間も同時に起きた火事で無になったからだ。
長年の仕事のデータ。確かにそこで生きていた人間の存在。
炎は全てを灰にする。
それでも消えることのないものは人の激情。焔だけだ。
孤児であった飛燕は、ある富豪の老人に引き取られた。
ただ人と違ったのは、その老人の家系が現在も続く名家であるということ。
一流ホテルを経営する老人――祖父の元で育ち、富と心に余裕があったからか飛燕は健やな少年に成長していた。
祖父は大変厳格な存在で、最初こそ飛燕に冷たい態度をとっていた。
が、飛燕が成長するにつれわだかまりも溶け、本当の孫…いや、それ以上に可愛がっていた。
「……ん?」
いつもの週末。祖父の家に遊びに来ていた飛燕は、祖父の書斎で読書をしていた。
その日、何気なく手にとった手記。
それは祖父が何より大切にしているものであり、普段は触ることすらないが、ちょっとした悪戯心が働いた故の行動だった。
だが、そこに挟まれていた写真に飛燕は目を奪われた。
古ぼけたそれには、若かりし頃の祖父と、この世のものかと疑うほどに美しい女性が写っている。
仲睦まじく寄り添った二人の関係は、まるで夫婦のように見えた。しかし、祖父にそのような関係になった女性がいたとは聞いたことがない。
その後書斎に入ってきた祖父にばれ、手記を勝手に覗いたことを叱られたが、写真を見つけてしまったことについては特に咎められなかった。
「じいちゃん、これ…誰?」
「ああ、いや、それは…なんだ…」
飛燕は、祖父の気まずい空気を汲み取れる訳もなく、笑顔で聞いてしまう。
祖父は椅子に腰かけると飛燕を傍に呼び寄せ、二人で写真を眺めた。
「その方は…麗華さんと言う」
「れいか?」
「ああ、じいちゃんの…婚約者だった人だ。みんなには内緒だぞ?」
祖父はそう苦笑する。
「じいちゃんは、れいかさんが好きだったのか?」
「…もちろん、好きだったよ。とても…」
「じゃあなんで結婚しなかったんだ?」
そう言って、飛燕は首を傾げる。好奇心に満ちた子供の言葉に、悪意は微塵もない。
だが、それは祖父の胸を深く抉る。
「…したかった…。したかったのに…出来なかったんだ…飛燕…」
低く呻いて、祖父は飛燕をきつく抱きしめた。
驚いて、祖父を見上げる。飛燕にとって強く憧れの存在である祖父は、声を殺して泣いていた。
飛燕は幼心ながら、その姿をはっきりと記憶に焼き付けていた。
後にネットなどで当時のことを調べて判明した事実。天皇家とも親交のある名門・青蓮院の令嬢、失踪事件。
被害者は青蓮院麗華。
生きていれば祖父より一回りほど下の年齢で、艶のある長い黒髪と雪のように白い肌は煌びやかな着物によく似合い、まるで日本人形のような美貌を誇ったと言う。
顔を覚えられて誘拐でもされるのを恐れてなのか、あの写真以外、全く出てこなかった。
それほど大事に可愛いがられていたということだろう。
飛燕は事件や家系を調べるにつれ、この女性のことをもっと深く知りたくなった。
…神隠し。正にそうとしか思えない、不可思議な事件。
一度推理ものを見てしまうと犯人が解るまで気になるのと同じように、単純に興味が湧いた。
「…麗華、さん」
残念ながら飛燕は異性に対して恋愛感情を持つ人間ではなかったが、麗華という文面でしかわからない女性には、何故か引き寄せられるように執着した。
実父も、その父も、共に麗華に執着したことなど、当時の飛燕には知る由もなかった。
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「トリックオアトリート!」
クオリティーの低い吸血鬼の仮装をした一馬が家の前にいると聞き、司は渋々玄関を開けながら深いため息を吐いた。
にこにこと期待に膨らませた笑みを湛え、一馬は当然のように両手を差し出している。
さっさと菓子をくれ、と言うことか。
「私は便乗しないぞ」
「え~つまんないこと言わないで下さいよぉ!お・菓・子!くれないと悪戯しちゃうよ?」
「やってみろ。絶対に許さない」
一馬の手を払いのけながら凄めば、一馬は不服そうに唇を尖らせる。
「ケッ、西條先輩は空気読んですぐくれたのに」
「…西條の所にも行ったのか?」
「つーか俺いま、先輩やダチの家回ってるんすよ」
まったくこいつは、何を遊び歩いているんだ…。司は呆れて宙を仰ぐ。
「どうやら、何か一つでもやらんと帰ってくれないようだな」
「そゆこと!」
「…仕方ない。ちょっと待っていろ」
そう言って、司は一度自宅の中に戻って行く。
すぐに帰って来たかと思うと、差し出された手の平に色とりどりの小さなものを落とす。
「ほら、これで良いな」
手渡されたものを見て、一馬は一瞬、手の平の中の菓子を二度見した。
テレビの中や、田舎に住んでいる祖母が食べているのを見たことがある程度の知識しかない菓子だった。
「なんすか…これ…」
「見てわからないか。こんぺいとうだ」
「いや、先輩…違う…菓子って言ったらもっとこう…」
「これも立派な菓子だ。じゃあな」
「あっ、ち、ちょっと待てよ!」
そそくさと玄関を閉めようとするが、一馬が脚を入れてそれを制止する。
「うるさい!早く帰れ!!」
とどめに顔に缶を投げられ、一馬は傷めた額を摩りながら地面に落ちた缶に目を向ける。
宝石のような形をしたその飴もテレビや駄菓子屋でしか見たことのないものであった。
「先輩古っ!つかダサッ!今時こんなのリアルに食う若者なんて先輩しかいねーよ!だから脳みそまでガチガチなんだよ!!」
その言葉が、司のプライドを傷付けた。
「なっ…ひ、人の食生活にまで口を出すな馬鹿者がっ!!」
強引に一馬を跳ね退け、バタンと音を立てて扉を閉めた。
後に残された一馬は、不服そうに無言で扉を見つめていた。
握り締めていたせいでベタベタになったこんぺいとうに目をやると、自棄になって口の中に押し込める。
「甘゛ッ……」
もうハロウィンに如月先輩の家にだけは行かない。自分の知らないところで、司は一馬にそう誓わせた。
クオリティーの低い吸血鬼の仮装をした一馬が家の前にいると聞き、司は渋々玄関を開けながら深いため息を吐いた。
にこにこと期待に膨らませた笑みを湛え、一馬は当然のように両手を差し出している。
さっさと菓子をくれ、と言うことか。
「私は便乗しないぞ」
「え~つまんないこと言わないで下さいよぉ!お・菓・子!くれないと悪戯しちゃうよ?」
「やってみろ。絶対に許さない」
一馬の手を払いのけながら凄めば、一馬は不服そうに唇を尖らせる。
「ケッ、西條先輩は空気読んですぐくれたのに」
「…西條の所にも行ったのか?」
「つーか俺いま、先輩やダチの家回ってるんすよ」
まったくこいつは、何を遊び歩いているんだ…。司は呆れて宙を仰ぐ。
「どうやら、何か一つでもやらんと帰ってくれないようだな」
「そゆこと!」
「…仕方ない。ちょっと待っていろ」
そう言って、司は一度自宅の中に戻って行く。
すぐに帰って来たかと思うと、差し出された手の平に色とりどりの小さなものを落とす。
「ほら、これで良いな」
手渡されたものを見て、一馬は一瞬、手の平の中の菓子を二度見した。
テレビの中や、田舎に住んでいる祖母が食べているのを見たことがある程度の知識しかない菓子だった。
「なんすか…これ…」
「見てわからないか。こんぺいとうだ」
「いや、先輩…違う…菓子って言ったらもっとこう…」
「これも立派な菓子だ。じゃあな」
「あっ、ち、ちょっと待てよ!」
そそくさと玄関を閉めようとするが、一馬が脚を入れてそれを制止する。
「うるさい!早く帰れ!!」
とどめに顔に缶を投げられ、一馬は傷めた額を摩りながら地面に落ちた缶に目を向ける。
宝石のような形をしたその飴もテレビや駄菓子屋でしか見たことのないものであった。
「先輩古っ!つかダサッ!今時こんなのリアルに食う若者なんて先輩しかいねーよ!だから脳みそまでガチガチなんだよ!!」
その言葉が、司のプライドを傷付けた。
「なっ…ひ、人の食生活にまで口を出すな馬鹿者がっ!!」
強引に一馬を跳ね退け、バタンと音を立てて扉を閉めた。
後に残された一馬は、不服そうに無言で扉を見つめていた。
握り締めていたせいでベタベタになったこんぺいとうに目をやると、自棄になって口の中に押し込める。
「甘゛ッ……」
もうハロウィンに如月先輩の家にだけは行かない。自分の知らないところで、司は一馬にそう誓わせた。
『大きくなったら、正義のヒーローになるんだ!』
男児ならば一度は憧れるあろう、そんな夢。
幼き日の鷲尾もそうだった。小学校に上がる頃には中の人がいるのも知ったが、それでもくじけずむしろ中の人になりたいと思うようになった。
頼れる父と優しい母の笑顔を見ていると、その気持ちは何倍にも膨らんでいって。
いつかは自分達だけじゃない、他の家庭にも笑顔を。
純粋で清い少年の夢を、両親はひたすら温かく、その愛でもって抱擁していた。
だが、そんな両親を忽然と奪われたその日から。
少年の心は壊れ、笑顔は偽りとなった。
何も考えられない。考えたくない。
希望もなく生きて…何になる?
そんなことしか考えられなかった頃、少年は暴力に触れた。
暴力の中で生きる集団がいることも。
柄の悪い連中に絡まれた時には、その筆頭に助けられたことも。
少年は知り、そして憧れた。
『…ヒーローになるんだ』
何度負けても立ち向かうのは正義じゃない、決まって悪の方だ。
少年はいつしか悪を、自分にとってのヒーローに思うようになった。
*
事務所から電話をもらい、蓮見は思わず「はぁ?」と拍子抜けした声を上げた。
電話を切り、内容が気になる様子の柳に、嘲笑混じりに言う。
「今から新人の面接らしい。俺に面接官をしろだとよ」
「ああ?何だそれ。聞いてねぇけど」
柳も、首を傾げる。
それもそうだ。新人構成員の一人や二人で直に連絡を受けるなど、ありえない。
わざわざ本部事務所に足を運んで、しつこく頭を下げでもしない限り。
だが電話では、何のコネも金も無い堅気が、正に捨て身で乗り込んで来たと聞いた。
――今時、ガキでももっと上手い手段を考えるかもしれないというのに。
だが、自ら志願して来たんだ。使い捨てくらいにはしてやるか。
それに…どうせそうするなら、一度そのアホ面を拝んでおきたい。
そう思っていた蓮見だったが、実際に事務所に赴けば、そこにいたのは地味で真面目そうで…だが、どこか憂いのある男だった。
応接間のソファーに座り、屈強な男達に周りを取り囲まれても、男は微動だにしない。
いや…恐れていない訳ではないのだろう。膝の上に置いた拳が、微かに震えている。
だがその表情からは、“恐れる”という感情を忘れてしまった人間のようにも見えた。
男は応接間に通された蓮見を見て、全身を強張らせ、背筋を伸ばす。
「あんたか?うちに入りたいってのは」
ソファーに向かい合うように座り、踏ん反り返る。
「は、はい。鷲尾玲仁と申します。あの、これ…履歴書です」
ゆっくりと開いた唇から漏れたのは、よく通る、正に好青年といった感じの声だった。
吹き出しそうになるのを寸前で堪え、蓮見は無言でそれを受け取った。
背もたれに深く沈みながら、面倒臭そうに視線を落とす。
鷲尾玲仁…現在、22歳。見た目だけはもう少し若く見えたが、春に大学を卒業したばかりか。
そして、出身大学の名を見て、蓮見は首を傾げる。
そこは、偏差値が高く知名度のある大学と言われれば、必ず名前が上がるほどの名門だった。
真面目に就職活動をすれば、不景気の影響で一流とはいかずとも二流か三流にはほぼ確実に入れるだろう。
…勉強しすぎていよいよイカれちまったのか?
あまりの堂々とした姿に、興味すら湧いてくる。
初めこそ警察の潜入捜査の可能性も頭を過ぎりはしたが、事務所の構成員が行った身体検査では怪しげなものは特に何も持っていなかったらしい。
つまり白。どうせ、ガキの遊びの延長線が解らなくなっている哀れな奴なのだろうと、蓮見はため息を漏らす。
「あのなぁ…鷲尾さんよ、今なら今日のことは忘れて帰してやるから、真面目に就活しろよ。野暮な気起こすんじゃねえ」
「そんなこと言わないで下さいっ。龍真組の…いえ、蓮見さんの元で働きたいんです。必ず、お役に立ってみせます。ですから、どうかお願いしますっ…!」
鷲尾の必死の懇願も蓮見は耳に入らないと言った様子で、一人ぼやく。
「何も本部に来なくたってぁ…端くれのカスに酒の一杯でも奢ってやりゃあチンピラぐらいにはなれるだろうに」
興味なさ気に天井を仰ぐ蓮見に鷲尾は僅かに蓮見を睨み、
「俺は本気です!!」
身を乗り出し、テーブルに両手を叩き付けて怒鳴った。
周りの構成員が警戒するが、蓮見はそれを無言の威圧で制止する。
「…ああ、面倒くせぇ。この際だからハッキリ言うがな、本気だろうが何だろうがあんたは不採用だ。とっとと出てけ」
「俺の…俺の、何が悪いんですか…!」
「そこまで教える義理はねえ。頭冷やせ」
ため息を一つ吐いて、踵を返そうとする。
鷲尾は慌ててソファーから降り、土下座の体勢になった。
「お願いします!!」
そのまま、床に額を擦り付ける。
「おい、何してやがる」
「お、俺には…もう…何も残ってないんです。真面目に就職して日々に紛れたって、希望なんてない…!俺は…俺の人生をめちゃくちゃにした奴に…ふ、復讐…するんだ…」
鷲尾は震える声でそう叫ぶ。
どこか悲痛めいたものを感じたが、蓮見は腰を下ろすと鷲尾の髪を鷲掴みにし、顔を寄せる。
「何があったかは知らねえがな、覚悟もない癖に物騒なこと言ってんじゃねえ。死に急いでどうする」
「…それでも、俺は…!!」
引き下がろうとしない鷲尾に焦れた蓮見が、舌打ちをした。
「ヤクザ舐めてんのか?ああ?どうなんだ!!」
声を荒げ、髪を掴んだまま鷲尾の頭を揺さぶる。
鷲尾は苦痛に眉をしかめながら蓮見を睨んだが、ふと俯くと口許を歪ませる。
「…舐めてるだなんて、そんな…俺は、憧れてるんですよ、貴方に…」
「……はぁ?」
「貴方は、覚えてないでしょうけど…絡まれてるところを貴方に助けられて、俺…衝撃受けたんです。中学生の癖に強えじゃんこいつ、って。でもそれ以上に…中坊より弱い自分に心底ムカついた」
フフッと自虐的な笑みを零し、鷲尾は蓮見を見上げた。
そのガラス玉のような瞳を見て、蓮見を声を失った。
ヤバイ…こいつ、イカれてやがる…。
鷲尾の手がふらふらと伸びてきて、蓮見の腕を掴む。
「俺、ヒーローになりたくて…遊園地でアトラクションショーのバイトしてたんです。まあ、その甲斐もあってか、鍛えられましたよ…例えば、怖い人に囲まれた時の対処法、とかね」
捕まれた腕を圧迫する力が、ギリギリと強くなる。
ぐっと喉が鳴り、鷲尾の髪を掴んでいた手を離そうか迷った一瞬の隙をつかれ、腕を引き寄せられるとそのままガツッ、と鈍い音がした。
あれ…俺、もしかして頭突きされた…?
蓮見の思考が着いてきたのは、頭突きの衝撃で後ろへよろめき、ソファーに背中を打った後だった。
「坊ちゃん!テメェッ、この野郎…!!」
「ちょ…待て、お前ら、堅気に手出すんじゃねえっ…」
今にも鷲尾に掴みかかろうとしていた構成員に、まだクラクラする頭を抑えながら、かろうじて制止の言葉を口にする。
「あー…痛ってえ…。今のはマジで痛かった…。目の前に星が見えた…」
漫画によく出て来る表現が現実にあるものなのだなと知り、頭痛と闘いながら蓮見は呟く。
鷲尾はすっくと立ち上がると力で捩伏せた蓮見を見下ろし、笑っていた。
「ね、いま俺、暴力団の息子に手出しちゃいましたよね。これで俺が覚悟出来てないなんて言ったら、それこそ貴方の面子に関わりますよね」
「…そりゃあ、解ったけど…力付くかよ」
弱々しく頭を振りながら、蓮見は思う。
今まで俺を素手で倒した奴は居なかった…まあ、今のは不意打ちだったけど。
こんな奴を入れてうちの組は大丈夫なんだろうか…?
もしも、もしも内乱が起きた場合を恐ろしく思いながら、蓮見はずれかけていたサングラスの縁を上げる。
「…やっぱあんたはうちには入れられねえ。確かに役に立ちそうだが、危険過ぎる」
鷲尾は笑みを消し、残念そうに肩を竦める。
「…だから、代わりに俺があんたに着いてやるよ」
もうどうにでもなれ。蓮見は半ば投げやりに言った。
「へえ…良いのか?」
「俺が決めた。今決めた。だから良いんだ。…その復讐ってのにも興味があるしな」
鷲尾は苦笑すると、ありがとう、と微笑みながら、手を差し伸ばしてきた。
蓮見の脳裏に焼き付いて離れない、あの人間味のしない双眸の持ち主だとは、到底思えない優しげな表情であった。
その後は鷲尾を幹部らに紹介して事情を話し、柳も最初こそ拒絶して鷲尾に殴りかかっていったが、あっけなくボコボコにされた後はまるで兄が出来たように喜んで鷲尾に付き従うことを受け入れた。
――それから月日は流れ、蓮見らは鷲尾がバーテンダーとして働く店にいた。
店内には大音量の音楽が流れ、いかがわしい雰囲気のそこは違法クラブであり、蓮見と柳も時間のある時は鷲尾の元にたむろしていた。
「うーん……」
仕事中は私情を持ち込まない鷲尾にしては珍しく、神妙な顔でグラスを拭いている。
「どうしたんです、鷲尾さん?何か悩み事でも?」
カウンター席で鷲尾の作ったカクテルを飲みながら、蓮見が聞いた。
「…俺さ、昔からスタントマンになりかったんだ。でもなんでバーテンなんかしてんだろ、と思って」
「……はぁ」
「ああ、もちろんこの仕事も好きだよ。でも、やっぱり…。フフッ、早く見付けないとな」
両親を殺した手掛かり一つない犯人に殺意以上のものを抱きながら、鷲尾は笑う。
この人は何故笑っていられるんだ…蓮見は鷲尾の笑みを見ると、いつも胸が痛かった。
鷲尾の笑みは、悲しみに暮れ、枯れる涙も流せなくなった結果。
そして、憎悪を燃やすことによって自我を保っているという安心感がくる笑みだ。鷲尾と親交を深める内、それを知った。
復讐を止めようとは思わない。その過程で鷲尾がどうなろうと知ったことではない。
だが、鷲尾には信念がある。それが歪んでいようが、男が本気で悩み抜いた末の決定だ。
信念を貫くまでは、鷲尾を守り、盾になるのが俺達に出来ること。
その後は何があっても潔くさよなら、だ。
ここ最近まで、蓮見はそう思っていた。
しかし、ふと考えることがある。
もしもそうなった時、何の未練も無しに別れられるだろうか。
…正直、今は自信がない。柳もそう零していた辺り、俺達は相当、この人の…人間の闇に触れてしまったかもしれない…。
「そうですね」と小さく呟き、蓮見はカクテルグラスの中身を飲み干した。
少年は心を壊され、価値観が変わり、そしてまた、悪をもって心を形成していく。
闇の中にも光はあるのか。
光の中にこそ闇があるのか。
実に14年の歳月を経て、再び少年の心を掻き乱すことになる男が現れるのは、その日の出来事だった。
男児ならば一度は憧れるあろう、そんな夢。
幼き日の鷲尾もそうだった。小学校に上がる頃には中の人がいるのも知ったが、それでもくじけずむしろ中の人になりたいと思うようになった。
頼れる父と優しい母の笑顔を見ていると、その気持ちは何倍にも膨らんでいって。
いつかは自分達だけじゃない、他の家庭にも笑顔を。
純粋で清い少年の夢を、両親はひたすら温かく、その愛でもって抱擁していた。
だが、そんな両親を忽然と奪われたその日から。
少年の心は壊れ、笑顔は偽りとなった。
何も考えられない。考えたくない。
希望もなく生きて…何になる?
そんなことしか考えられなかった頃、少年は暴力に触れた。
暴力の中で生きる集団がいることも。
柄の悪い連中に絡まれた時には、その筆頭に助けられたことも。
少年は知り、そして憧れた。
『…ヒーローになるんだ』
何度負けても立ち向かうのは正義じゃない、決まって悪の方だ。
少年はいつしか悪を、自分にとってのヒーローに思うようになった。
*
事務所から電話をもらい、蓮見は思わず「はぁ?」と拍子抜けした声を上げた。
電話を切り、内容が気になる様子の柳に、嘲笑混じりに言う。
「今から新人の面接らしい。俺に面接官をしろだとよ」
「ああ?何だそれ。聞いてねぇけど」
柳も、首を傾げる。
それもそうだ。新人構成員の一人や二人で直に連絡を受けるなど、ありえない。
わざわざ本部事務所に足を運んで、しつこく頭を下げでもしない限り。
だが電話では、何のコネも金も無い堅気が、正に捨て身で乗り込んで来たと聞いた。
――今時、ガキでももっと上手い手段を考えるかもしれないというのに。
だが、自ら志願して来たんだ。使い捨てくらいにはしてやるか。
それに…どうせそうするなら、一度そのアホ面を拝んでおきたい。
そう思っていた蓮見だったが、実際に事務所に赴けば、そこにいたのは地味で真面目そうで…だが、どこか憂いのある男だった。
応接間のソファーに座り、屈強な男達に周りを取り囲まれても、男は微動だにしない。
いや…恐れていない訳ではないのだろう。膝の上に置いた拳が、微かに震えている。
だがその表情からは、“恐れる”という感情を忘れてしまった人間のようにも見えた。
男は応接間に通された蓮見を見て、全身を強張らせ、背筋を伸ばす。
「あんたか?うちに入りたいってのは」
ソファーに向かい合うように座り、踏ん反り返る。
「は、はい。鷲尾玲仁と申します。あの、これ…履歴書です」
ゆっくりと開いた唇から漏れたのは、よく通る、正に好青年といった感じの声だった。
吹き出しそうになるのを寸前で堪え、蓮見は無言でそれを受け取った。
背もたれに深く沈みながら、面倒臭そうに視線を落とす。
鷲尾玲仁…現在、22歳。見た目だけはもう少し若く見えたが、春に大学を卒業したばかりか。
そして、出身大学の名を見て、蓮見は首を傾げる。
そこは、偏差値が高く知名度のある大学と言われれば、必ず名前が上がるほどの名門だった。
真面目に就職活動をすれば、不景気の影響で一流とはいかずとも二流か三流にはほぼ確実に入れるだろう。
…勉強しすぎていよいよイカれちまったのか?
あまりの堂々とした姿に、興味すら湧いてくる。
初めこそ警察の潜入捜査の可能性も頭を過ぎりはしたが、事務所の構成員が行った身体検査では怪しげなものは特に何も持っていなかったらしい。
つまり白。どうせ、ガキの遊びの延長線が解らなくなっている哀れな奴なのだろうと、蓮見はため息を漏らす。
「あのなぁ…鷲尾さんよ、今なら今日のことは忘れて帰してやるから、真面目に就活しろよ。野暮な気起こすんじゃねえ」
「そんなこと言わないで下さいっ。龍真組の…いえ、蓮見さんの元で働きたいんです。必ず、お役に立ってみせます。ですから、どうかお願いしますっ…!」
鷲尾の必死の懇願も蓮見は耳に入らないと言った様子で、一人ぼやく。
「何も本部に来なくたってぁ…端くれのカスに酒の一杯でも奢ってやりゃあチンピラぐらいにはなれるだろうに」
興味なさ気に天井を仰ぐ蓮見に鷲尾は僅かに蓮見を睨み、
「俺は本気です!!」
身を乗り出し、テーブルに両手を叩き付けて怒鳴った。
周りの構成員が警戒するが、蓮見はそれを無言の威圧で制止する。
「…ああ、面倒くせぇ。この際だからハッキリ言うがな、本気だろうが何だろうがあんたは不採用だ。とっとと出てけ」
「俺の…俺の、何が悪いんですか…!」
「そこまで教える義理はねえ。頭冷やせ」
ため息を一つ吐いて、踵を返そうとする。
鷲尾は慌ててソファーから降り、土下座の体勢になった。
「お願いします!!」
そのまま、床に額を擦り付ける。
「おい、何してやがる」
「お、俺には…もう…何も残ってないんです。真面目に就職して日々に紛れたって、希望なんてない…!俺は…俺の人生をめちゃくちゃにした奴に…ふ、復讐…するんだ…」
鷲尾は震える声でそう叫ぶ。
どこか悲痛めいたものを感じたが、蓮見は腰を下ろすと鷲尾の髪を鷲掴みにし、顔を寄せる。
「何があったかは知らねえがな、覚悟もない癖に物騒なこと言ってんじゃねえ。死に急いでどうする」
「…それでも、俺は…!!」
引き下がろうとしない鷲尾に焦れた蓮見が、舌打ちをした。
「ヤクザ舐めてんのか?ああ?どうなんだ!!」
声を荒げ、髪を掴んだまま鷲尾の頭を揺さぶる。
鷲尾は苦痛に眉をしかめながら蓮見を睨んだが、ふと俯くと口許を歪ませる。
「…舐めてるだなんて、そんな…俺は、憧れてるんですよ、貴方に…」
「……はぁ?」
「貴方は、覚えてないでしょうけど…絡まれてるところを貴方に助けられて、俺…衝撃受けたんです。中学生の癖に強えじゃんこいつ、って。でもそれ以上に…中坊より弱い自分に心底ムカついた」
フフッと自虐的な笑みを零し、鷲尾は蓮見を見上げた。
そのガラス玉のような瞳を見て、蓮見を声を失った。
ヤバイ…こいつ、イカれてやがる…。
鷲尾の手がふらふらと伸びてきて、蓮見の腕を掴む。
「俺、ヒーローになりたくて…遊園地でアトラクションショーのバイトしてたんです。まあ、その甲斐もあってか、鍛えられましたよ…例えば、怖い人に囲まれた時の対処法、とかね」
捕まれた腕を圧迫する力が、ギリギリと強くなる。
ぐっと喉が鳴り、鷲尾の髪を掴んでいた手を離そうか迷った一瞬の隙をつかれ、腕を引き寄せられるとそのままガツッ、と鈍い音がした。
あれ…俺、もしかして頭突きされた…?
蓮見の思考が着いてきたのは、頭突きの衝撃で後ろへよろめき、ソファーに背中を打った後だった。
「坊ちゃん!テメェッ、この野郎…!!」
「ちょ…待て、お前ら、堅気に手出すんじゃねえっ…」
今にも鷲尾に掴みかかろうとしていた構成員に、まだクラクラする頭を抑えながら、かろうじて制止の言葉を口にする。
「あー…痛ってえ…。今のはマジで痛かった…。目の前に星が見えた…」
漫画によく出て来る表現が現実にあるものなのだなと知り、頭痛と闘いながら蓮見は呟く。
鷲尾はすっくと立ち上がると力で捩伏せた蓮見を見下ろし、笑っていた。
「ね、いま俺、暴力団の息子に手出しちゃいましたよね。これで俺が覚悟出来てないなんて言ったら、それこそ貴方の面子に関わりますよね」
「…そりゃあ、解ったけど…力付くかよ」
弱々しく頭を振りながら、蓮見は思う。
今まで俺を素手で倒した奴は居なかった…まあ、今のは不意打ちだったけど。
こんな奴を入れてうちの組は大丈夫なんだろうか…?
もしも、もしも内乱が起きた場合を恐ろしく思いながら、蓮見はずれかけていたサングラスの縁を上げる。
「…やっぱあんたはうちには入れられねえ。確かに役に立ちそうだが、危険過ぎる」
鷲尾は笑みを消し、残念そうに肩を竦める。
「…だから、代わりに俺があんたに着いてやるよ」
もうどうにでもなれ。蓮見は半ば投げやりに言った。
「へえ…良いのか?」
「俺が決めた。今決めた。だから良いんだ。…その復讐ってのにも興味があるしな」
鷲尾は苦笑すると、ありがとう、と微笑みながら、手を差し伸ばしてきた。
蓮見の脳裏に焼き付いて離れない、あの人間味のしない双眸の持ち主だとは、到底思えない優しげな表情であった。
その後は鷲尾を幹部らに紹介して事情を話し、柳も最初こそ拒絶して鷲尾に殴りかかっていったが、あっけなくボコボコにされた後はまるで兄が出来たように喜んで鷲尾に付き従うことを受け入れた。
――それから月日は流れ、蓮見らは鷲尾がバーテンダーとして働く店にいた。
店内には大音量の音楽が流れ、いかがわしい雰囲気のそこは違法クラブであり、蓮見と柳も時間のある時は鷲尾の元にたむろしていた。
「うーん……」
仕事中は私情を持ち込まない鷲尾にしては珍しく、神妙な顔でグラスを拭いている。
「どうしたんです、鷲尾さん?何か悩み事でも?」
カウンター席で鷲尾の作ったカクテルを飲みながら、蓮見が聞いた。
「…俺さ、昔からスタントマンになりかったんだ。でもなんでバーテンなんかしてんだろ、と思って」
「……はぁ」
「ああ、もちろんこの仕事も好きだよ。でも、やっぱり…。フフッ、早く見付けないとな」
両親を殺した手掛かり一つない犯人に殺意以上のものを抱きながら、鷲尾は笑う。
この人は何故笑っていられるんだ…蓮見は鷲尾の笑みを見ると、いつも胸が痛かった。
鷲尾の笑みは、悲しみに暮れ、枯れる涙も流せなくなった結果。
そして、憎悪を燃やすことによって自我を保っているという安心感がくる笑みだ。鷲尾と親交を深める内、それを知った。
復讐を止めようとは思わない。その過程で鷲尾がどうなろうと知ったことではない。
だが、鷲尾には信念がある。それが歪んでいようが、男が本気で悩み抜いた末の決定だ。
信念を貫くまでは、鷲尾を守り、盾になるのが俺達に出来ること。
その後は何があっても潔くさよなら、だ。
ここ最近まで、蓮見はそう思っていた。
しかし、ふと考えることがある。
もしもそうなった時、何の未練も無しに別れられるだろうか。
…正直、今は自信がない。柳もそう零していた辺り、俺達は相当、この人の…人間の闇に触れてしまったかもしれない…。
「そうですね」と小さく呟き、蓮見はカクテルグラスの中身を飲み干した。
少年は心を壊され、価値観が変わり、そしてまた、悪をもって心を形成していく。
闇の中にも光はあるのか。
光の中にこそ闇があるのか。
実に14年の歳月を経て、再び少年の心を掻き乱すことになる男が現れるのは、その日の出来事だった。
「俺達小遣い足んなくてさぁ、ちょっと貸してくれよお兄さん」
路地裏に連れて行かれ、高校生と大学生が入り混じった男達に取り囲まれる。
今時の若者はどうしてこうも粗暴なのだろうか。
これが楽な稼ぎ方だとでも思っているなら、笑ってしまう。
「オイ、テメェ人の話聞いてんのか?」
「もしもーし?…あー、駄目だコイツ。俺らを見てもいねぇ」
「ムカつく野郎だな…コイツ、サンドバックにしちゃう?」
殴って済むのなら幾らでも殴ればいい。
お前らみたいなクズの暴力なんか、痛くも痒くもない。
男達の一人が俺の胸倉を掴み、拳を思い切り振り下ろした。
殴り飛ばされた後は、地面にうずくまる俺を、男達は寄ってたかって蹴り始める。
まるでゴミでも見るような目だ。でも、それも仕方ない。俺はゴミと何ら変わらない存在なのだから。
うっすらと目を開ければ、路地裏に一人、学ランを着た真面目そうな少年がやって来るのが見えた。
こっちへ来ちゃ駄目だ。そう思ったのもつかの間、少年は難しそうな数学の本を片手に、男達の肩を叩く。
「お前ら…なに格好悪ぃことやってんだ」
声変わりをしたばかりのような声の癖に、不思議と威圧感があった。
「なんだとこのガキ…!」
「えっ、ちょっ、ヤバイですって、コイツ東中の蓮見じゃ…!?」
「誰だそれ?知らねぇなぁ」
苛立っていた男達は、そのはけ口を今度は蓮見と呼ばれた少年に向ける。
少年はこれみよがしに深いため息を吐くと本をしまい、殴り掛かろうとしていた男の腕を捩り上げると――その後の光景は、暴力を振るっているというのに、実に鮮やかだった。
男達は血相を変えて逃げて行き、少年は一仕事終えたように砂埃を払う。
まるでヒーローショーでも見ているかのような感覚に陥った。
「おい、大丈夫か」
少年は俺に手を差し延べる。
その好意を首を振って否定すると、彼は無理矢理俺の腕を掴んで起こしてきた。
「怪我は…特にないみたいだな。あいつら、最近ここらで悪さしてる不良グループでな、また喧嘩吹っ掛けてきやがるかもしれねぇ。あんたも気をつけろよ」
無言でいると、助けてやったのに礼も無しか、とため息を吐いた。
相手が年下だとはいえ、失礼窮まりない態度だとはわかっている。
彼は俺の顔を覗き込むと眉をしかめた。
これは怒らせたな。今度はこいつに殴られるかもしれない。
そう思っていると、彼はハーフなのだろうか、日本人離れした印象の瞳が揺れる。
「哀しい目だな…」
小さく呟いた声が耳に残る。
彼は俺の過去を知らないはずだ。だがそれは、俺にとって初めての…心からの同情のように聞こえた。
「…そんなこと言われたの、初めてだ」
「喋れたのか。良かった、元気な証拠だ」
彼は優しく微笑むと、鞄から先ほどと同じ本を取り出した。
それ以上は何も言わず背を向けると、ひらひらと手を振って、去って行く。
俺はその小さくも大きな背中を、ただただ呆然と眺めていることしかできなかった。
*
「ああ、坊ちゃん。ご無事で何よりです」
「あんまり一人歩きはよして下さいよ。貴方にもしものことがあれば、俺らの首だって飛びかねないんですから…」
何事も無かったかのように送迎の車に乗り込んだ蓮見は、構成員の心配そうな視線を肌に感じながら、手元の本に視線を落とす。
「悪い悪い。面白い兄ちゃんがいたんでな、つい絡んじまった」
苦笑しながら、蓮見は先ほど不良グループにフクロにされていた彼を思い出す。
あれほど一方的に酷い暴行を受けていたというのに、彼は無傷だった。
…無傷?ありえない。そんなことがあるのか…?
実際、文武に長けた蓮見でさえ、防御の難しさは身を持って痛感している。
ぱっと見、特に身体を鍛えているようには…それどころか冴えないガリ勉にしか見えなかったし、ただ運が良かっただけなのか…。
いや、それはないか。あれは凡人が鍛えてどうにかなるものじゃない。
何か、別の本能的な…野性的な護身の術を、彼は既に心得ているように思えた。
「あの兄ちゃん…俺より強いかもしれねぇ…」
冗談はよして下さいよと苦笑する構成員の間で、蓮見は難しい表情で呟いた。
その数日後――鷲尾が暴行を受けたのと同じ路地裏。
あの時の不良グループは、一人の謎の男に襲撃され、壊滅的被害を受けた。
その男に変わった特徴はなく、強いて言えば…哀しい目をした高校生。それだけだった。
リーダー格の男でさえ意識不明にまで追い詰められたその全てを見ていた男は、あまりの恐怖に顔を歪ませる。
「ほ、報復かっ!?俺らがあんたをリンチしたから…」
「人を探してるだけだって言っただろ。物覚えの悪い奴だな…」
謎の男――鷲尾は下っ端らしい男に馬乗りになり、胸倉を掴む。
「蓮見って奴のことが知りたいんだ。お前、この間言ってただろ」
「お、俺も詳しくは知らねぇよっ。でも聞いた話じゃ…東中の裏番で…極道の…龍真組の実子だって噂もあるくらいで…」
極道…まるで何かに支配されたようにその言葉を復唱する。
龍真組といえば、今や数万人の構成員が属しているとされる巨大組織だ。
いずれそのトップになるであろう彼ならば、あの時感じた威圧感も納得がいった。
今までは、そんなものに触れるのはフィクションの世界だけだと思っていたが。
「な、なぁ、教えたんだからもう良いだろっ。こんなひでぇことはもうやめてくれっ!」
男は引き攣るような声で懇願する。
その声に一切耳を傾けず、鷲尾は冷たく呟いた。
「お前らみたいなクズがいるから世の中荒んでいくんだ…」
言いながら、ゆっくりと首に手をかける。
「俺がお前らにフクロにされていた時、何を考えていたかわかるか?お前らみたいな、どうしようもないクズが真の悪なんだって呆れてたんだよ…」
「ひっ、ひいぃっ!!」
溢れる殺意をモロに浴びて涙目になりながら、男はポケットからぐしゃぐしゃになった札束を取り出した。
「か、金っ、今はこんだけしかねぇけど全部やるからっ!だから勘弁してくれっ、頼むから殺さないでくれよぉ…!」
いざ死と隣り合わせになった今、完全にパニックになったようだ。
どうせこの金は、カツアゲで巻き上げた汚い金なのだろう。
それに金で許してもらえると思っていること自体が許せなかったが、男の行動は不幸中の幸い、鷲尾の自制心を引き戻すきっかけになった。
殺さない。今は、まだ。せめて社会に出るまでは、この手を汚す訳にはいかない。
少年院どころか刑務所に入るようなことになれば、復讐が全て水の泡だ。
「…まあいいか…これ、俺への慰謝料代として取っておくよ」
金をポケットに詰め込んで立ち上がると、鷲尾は怖ず怖ずと後退る男を見下げる。
「野望な真似するんじゃないぞ。…その時はお前も…地獄に道連れにしてやる」
凶器のように鋭い視線が男を射抜くのとほぼ同時に、男は情けない声をあげながら逃げて行った。
辺りに倒れた重傷者を一睨みすると、そのまま現場を去る。
帰路についた鷲尾の足取りは、実に軽やかだった。
鼻歌とスキップが混じり、どこからどう見ても機嫌のいい少年にしか見えない。
「蓮見か…いつかこの借り、返させてもらうからな…」
その時、長らく笑顔を忘れていたはずの鷲尾は、確かに笑っていた。
路地裏に連れて行かれ、高校生と大学生が入り混じった男達に取り囲まれる。
今時の若者はどうしてこうも粗暴なのだろうか。
これが楽な稼ぎ方だとでも思っているなら、笑ってしまう。
「オイ、テメェ人の話聞いてんのか?」
「もしもーし?…あー、駄目だコイツ。俺らを見てもいねぇ」
「ムカつく野郎だな…コイツ、サンドバックにしちゃう?」
殴って済むのなら幾らでも殴ればいい。
お前らみたいなクズの暴力なんか、痛くも痒くもない。
男達の一人が俺の胸倉を掴み、拳を思い切り振り下ろした。
殴り飛ばされた後は、地面にうずくまる俺を、男達は寄ってたかって蹴り始める。
まるでゴミでも見るような目だ。でも、それも仕方ない。俺はゴミと何ら変わらない存在なのだから。
うっすらと目を開ければ、路地裏に一人、学ランを着た真面目そうな少年がやって来るのが見えた。
こっちへ来ちゃ駄目だ。そう思ったのもつかの間、少年は難しそうな数学の本を片手に、男達の肩を叩く。
「お前ら…なに格好悪ぃことやってんだ」
声変わりをしたばかりのような声の癖に、不思議と威圧感があった。
「なんだとこのガキ…!」
「えっ、ちょっ、ヤバイですって、コイツ東中の蓮見じゃ…!?」
「誰だそれ?知らねぇなぁ」
苛立っていた男達は、そのはけ口を今度は蓮見と呼ばれた少年に向ける。
少年はこれみよがしに深いため息を吐くと本をしまい、殴り掛かろうとしていた男の腕を捩り上げると――その後の光景は、暴力を振るっているというのに、実に鮮やかだった。
男達は血相を変えて逃げて行き、少年は一仕事終えたように砂埃を払う。
まるでヒーローショーでも見ているかのような感覚に陥った。
「おい、大丈夫か」
少年は俺に手を差し延べる。
その好意を首を振って否定すると、彼は無理矢理俺の腕を掴んで起こしてきた。
「怪我は…特にないみたいだな。あいつら、最近ここらで悪さしてる不良グループでな、また喧嘩吹っ掛けてきやがるかもしれねぇ。あんたも気をつけろよ」
無言でいると、助けてやったのに礼も無しか、とため息を吐いた。
相手が年下だとはいえ、失礼窮まりない態度だとはわかっている。
彼は俺の顔を覗き込むと眉をしかめた。
これは怒らせたな。今度はこいつに殴られるかもしれない。
そう思っていると、彼はハーフなのだろうか、日本人離れした印象の瞳が揺れる。
「哀しい目だな…」
小さく呟いた声が耳に残る。
彼は俺の過去を知らないはずだ。だがそれは、俺にとって初めての…心からの同情のように聞こえた。
「…そんなこと言われたの、初めてだ」
「喋れたのか。良かった、元気な証拠だ」
彼は優しく微笑むと、鞄から先ほどと同じ本を取り出した。
それ以上は何も言わず背を向けると、ひらひらと手を振って、去って行く。
俺はその小さくも大きな背中を、ただただ呆然と眺めていることしかできなかった。
*
「ああ、坊ちゃん。ご無事で何よりです」
「あんまり一人歩きはよして下さいよ。貴方にもしものことがあれば、俺らの首だって飛びかねないんですから…」
何事も無かったかのように送迎の車に乗り込んだ蓮見は、構成員の心配そうな視線を肌に感じながら、手元の本に視線を落とす。
「悪い悪い。面白い兄ちゃんがいたんでな、つい絡んじまった」
苦笑しながら、蓮見は先ほど不良グループにフクロにされていた彼を思い出す。
あれほど一方的に酷い暴行を受けていたというのに、彼は無傷だった。
…無傷?ありえない。そんなことがあるのか…?
実際、文武に長けた蓮見でさえ、防御の難しさは身を持って痛感している。
ぱっと見、特に身体を鍛えているようには…それどころか冴えないガリ勉にしか見えなかったし、ただ運が良かっただけなのか…。
いや、それはないか。あれは凡人が鍛えてどうにかなるものじゃない。
何か、別の本能的な…野性的な護身の術を、彼は既に心得ているように思えた。
「あの兄ちゃん…俺より強いかもしれねぇ…」
冗談はよして下さいよと苦笑する構成員の間で、蓮見は難しい表情で呟いた。
その数日後――鷲尾が暴行を受けたのと同じ路地裏。
あの時の不良グループは、一人の謎の男に襲撃され、壊滅的被害を受けた。
その男に変わった特徴はなく、強いて言えば…哀しい目をした高校生。それだけだった。
リーダー格の男でさえ意識不明にまで追い詰められたその全てを見ていた男は、あまりの恐怖に顔を歪ませる。
「ほ、報復かっ!?俺らがあんたをリンチしたから…」
「人を探してるだけだって言っただろ。物覚えの悪い奴だな…」
謎の男――鷲尾は下っ端らしい男に馬乗りになり、胸倉を掴む。
「蓮見って奴のことが知りたいんだ。お前、この間言ってただろ」
「お、俺も詳しくは知らねぇよっ。でも聞いた話じゃ…東中の裏番で…極道の…龍真組の実子だって噂もあるくらいで…」
極道…まるで何かに支配されたようにその言葉を復唱する。
龍真組といえば、今や数万人の構成員が属しているとされる巨大組織だ。
いずれそのトップになるであろう彼ならば、あの時感じた威圧感も納得がいった。
今までは、そんなものに触れるのはフィクションの世界だけだと思っていたが。
「な、なぁ、教えたんだからもう良いだろっ。こんなひでぇことはもうやめてくれっ!」
男は引き攣るような声で懇願する。
その声に一切耳を傾けず、鷲尾は冷たく呟いた。
「お前らみたいなクズがいるから世の中荒んでいくんだ…」
言いながら、ゆっくりと首に手をかける。
「俺がお前らにフクロにされていた時、何を考えていたかわかるか?お前らみたいな、どうしようもないクズが真の悪なんだって呆れてたんだよ…」
「ひっ、ひいぃっ!!」
溢れる殺意をモロに浴びて涙目になりながら、男はポケットからぐしゃぐしゃになった札束を取り出した。
「か、金っ、今はこんだけしかねぇけど全部やるからっ!だから勘弁してくれっ、頼むから殺さないでくれよぉ…!」
いざ死と隣り合わせになった今、完全にパニックになったようだ。
どうせこの金は、カツアゲで巻き上げた汚い金なのだろう。
それに金で許してもらえると思っていること自体が許せなかったが、男の行動は不幸中の幸い、鷲尾の自制心を引き戻すきっかけになった。
殺さない。今は、まだ。せめて社会に出るまでは、この手を汚す訳にはいかない。
少年院どころか刑務所に入るようなことになれば、復讐が全て水の泡だ。
「…まあいいか…これ、俺への慰謝料代として取っておくよ」
金をポケットに詰め込んで立ち上がると、鷲尾は怖ず怖ずと後退る男を見下げる。
「野望な真似するんじゃないぞ。…その時はお前も…地獄に道連れにしてやる」
凶器のように鋭い視線が男を射抜くのとほぼ同時に、男は情けない声をあげながら逃げて行った。
辺りに倒れた重傷者を一睨みすると、そのまま現場を去る。
帰路についた鷲尾の足取りは、実に軽やかだった。
鼻歌とスキップが混じり、どこからどう見ても機嫌のいい少年にしか見えない。
「蓮見か…いつかこの借り、返させてもらうからな…」
その時、長らく笑顔を忘れていたはずの鷲尾は、確かに笑っていた。
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